朝日新聞デジタル:「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ – 社会

私も小学校の6年生までは、草野球少年でした。野球が大好きで、チームを作って毎日野原で野球をしていました。中学に上がり野球部に入り、まず最初にやらされたことは、中腰で膝に手を当てて声を出す練習です。「めえーーめえーー」と応援の練習です。声が小さいと、「けつぱん」という容赦のないバットでけつをたたく仕打ちに会います。たまに尾てい骨にも当たる痛さはたまったものではありません。それを先生が率先してやっています。私はすぐに野球部を辞めました。
母が再婚した養父は野球が好きで、母の前でそのような私を「この子は根性なしだ、◯◯(母の名前)の育て方が悪い」とののしりました。
母はそれに対して養父に「なにを!!」とくってかかり、それからというものは母は養父に対してとても厳しくなりました。「けつぱん」を黙認した先生に対しても文句を言いに学校にも乗り込んでいきました。全ての出来事は、私の脳裏に映画のようにはっきりと焼き付いています。
それから私は、野球というものに興味がなくなりました。しかし、たまにやる草野球では、いまだに小学校の時の軽やかな守備のフィールドワークでつかむ球と、独特なバッティングで撃つ球の気持ちよさと楽しさは体が忘れていません。
しかし、そのような学校と、養父のいる家が嫌になり、ぐれはじめました。中学時代から繁華街に出入りし、うろつく毎日です。
今回のこの桑田氏の記事を読んで、特に「監督が采配ミスをして選手に殴られますか? スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。」にはとても共感します。
体罰やしつけ。もし大人が、体罰だと言ってとても力の強い大人から殴られたりして、これはおまえの性根が悪いからだと言われてて済むでしょうか?自分が子どもよりも強い立場にいいるから暴力をふるうのは全く卑怯な行為です。しつけも体罰も全て卑怯な言い訳であることを社会全体が早く気付くべきです。

「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ

体罰について語る桑田真澄さん=11日午後、東京都新宿区、越田省吾撮影

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【岡雄一郎】体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。

引用元: 朝日新聞デジタル:「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ – 社会.

叱って育てる教育の復権を。机をひっくり返したり、ゴミ箱を投げたり、若いときには勢いで叱ってもいい(エキサイトレビュー) – エキサイトニュース

この本はまだ読んでいませんが、読んだ方のご感想や、叱って育てる教育についてのご意見をぜひお聞かせ下さい。

このままでいいのか?

蔓延する「ほめよ、叱るな」教育

「叱って育てる」教育の復権

教師向けの雑誌『総合教育技術』06月号の特集タイトルだ。

“子どもたちの将来、ひいてはこの国の未来のためにも、行き過ぎた「叱らない」教育を正し、悪循環を断ち切る必要がある。今こそ、教師たちは叱ることの真の意味を理解すべきであり、現代に即した「叱って育てる」教育が求められている。”

と、勇ましい巻頭提言ではじまる。

引用元: 叱って育てる教育の復権を。机をひっくり返したり、ゴミ箱を投げたり、若いときには勢いで叱ってもいい(エキサイトレビュー) – エキサイトニュース.

教育 : 子どもが脚本家・演出家になれる文科省SPサイト「演劇メーカー」 | RBB TODAY (ブロードバンド、回線・サービスのニュース)

最近話題になっているコミュニケーション教育とは何か?「コミュニケーション教育推進会議」など文部科学省が取り組んでいます。私もこれから役者を目指したいと思いますので、子どもが脚本家・演出家になれるというなら、ちょっと暇を見て実験してみたいとおもいます。

文部科学省は5月31日、教育分野での子どもスペシャルサイトとして、劇作家・平田オリザ氏監修のもと、コミュニケーション教育への理解・関心を深めるためのサイト「演劇メーカー」を公開した。

経済協力開発機構(OECD)では、子どもたちに必要な能力の一つとして「多様な社会グループにおける人間関係形成能力」を挙げ、企業が学生を採用するに当たっても、コミュニケーション能力をもっとも重視するなど、コミュニケーション能力の育成を求める社会的要請が高まっている。こうした背景を踏まえ、文部科学省でも「コミュニケーション教育推進会議」を設置し、演劇などの芸術表現を通じたコミュニケーション能力の育成などについての議論を行っている。

引用元: 教育 : 子どもが脚本家・演出家になれる文科省SPサイト「演劇メーカー」 | RBB TODAY (ブロードバンド、回線・サービスのニュース).

悲惨な事故・易と安全

子ども達の集団登校の列に乗用車が飛び込むという悲惨な事故が増えている。

まず、車を運転する側。疲れたり、お酒を飲んで運転すればどのようになるか?
人間の先天は、その予測は当たり前にできるように本来はなっているはずである。
自分の心身と同化するだけで無く、周りの森羅万象と融合する。
すると、それらと自分との関係がまるで当たり前のようにわかるようになる。

これが太極拳で思い出す易である。自分と周りの変化を感じ、その予測ができる。とても重要な感受性を套路や対錬で修練する。太極拳は道教の流れを大きく影響を受けているが、その前にアニミズムという森羅万象との融合を根源に持っている。無為自然とはそういうことである。
日本でも神道などがそうであり、インディアンなど世界中に多くのアミニズム思想がある。

さて、かわいそうであるが、子ども達である。

最近は集団登校が増えてきた。集団登校の賛否はここでは伏せておく。

子ども達は人間であり、動物としての本能を持っている。

危険を察知する能力は,親から離れれば離れるほど研ぎ澄まされる。

集団登校は、自分でその機能を使わず、他に付いていくということで安全を求めるという反面がある。

自らの機能を衰えさせる原因にもなる。集団登校は利点もあるだろうから、これらを補充する対策が必要である。

自分で自分の安全を守る。いち早く異変に気づく能力。それらを失わせることの無いよう、この危険な社会には子ども達を育てていきたい。

いち早く異変に気づく能力は、環境との融合である。自然にたわむれる子ども達は,その能力を駆使する。
もちろん街中でも良いが、安全に作られた社会は,その中で守ろうとするから、その根本能力は衰える。

少しぐらい怪我をしても良い。この中で親たちが木の上に立って見守り(漢字の意味)子ども達の先天の能力を失わせないようにしてあげることが必要である。

易はその先天の能力を持って,多くの事象を測り、その性質を一つの統計として表している。

子ども達のこの易の能力を失わせず、社会に適応させていく。
集団登校で、前の子ども達に付いていきながらゲームをしている子もよく見る。

私は小学校に上がったら、長い道のりを一人で歩いて登校した。確かに車は少なかったが、とてもスリル満点であったし、面白かった。
今考えると危ないところを当たり前に通り過ぎていた。いつもいつも冒険であった。
まむしと出会ったときは、犬を連れたおじさんが助けてくれた。助けてくれたのは犬だった。よく覚えている。

嫌な感じがするところは、よく注意して通り過ぎた。今もその能力は失っていない。

太極拳を続けているからかも知れないが。日頃歩くときもそのような気持ちで歩いている。

もしも、その能力を忘れかけている子ども達がいるのなら、太極拳を易しく教えてあげたい。

太極拳は、森羅万象と融合して、その易を感じる素晴らしい武道である。

小学生の列に車、3人重体=妊婦含め10人はねる―無免許の18歳少年逮捕・京都 (時事通信) – Yahoo!ニュース

23日午前8時ごろ、京都府亀岡市篠町篠で「小学生の列に車が突っ込んだ」と近くの住人から110番があった。府警交通捜査課などによると、集団登校中の小学生の列に軽自動車が突っ込み、保護者の松村幸姫さん(26)と小学生9人の計10人がはねられた。小学3年の横山奈緒さん(8)と同2年の小谷真緒さん(7)の2人が意識不明の重体、同1年の西田琉輝君(6)も集中治療室(ICU)で治療中で重体という。

松村さんら4人は足を骨折するなど重傷を負った。松村さんは妊娠7~8カ月で流産したとみられるという。残り3人は軽傷。

同課などは、車を運転していた自称同市の無職少年(18)を自動車運転過失傷害容疑で現行犯逮捕した。少年は無免許で、「事故を起こしたのは間違いない。一晩中運転していた」などと話しているという。

引用元: 小学生の列に車、3人重体=妊婦含め10人はねる―無免許の18歳少年逮捕・京都 (時事通信) – Yahoo!ニュース.

地獄絵が売れている。

最近子ども達に地獄絵がしつけ用として、爆発的に売れているらしい。

恐ろしくて、気味が悪いかも知れないが、日本の地獄感をとてもよく表している興味深いものである。

この絵が、当たり前で自然に存在するものであるから、これを子ども達に見せるとか見せないと言うよりも、子ども達はあらゆるものを見て色々なことを感じる中での、一つのものである。

しかし、これにナレーションをつけて、嘘をつくから舌を抜かれる、◯◯をするから地獄で◯◯をされると話す大人の心意はどのようなものであろうか?

大人達は、この本を使って、子ども達に何をしようとしているのか?

その自らの心をまず顧みることのほうがが大切だと思う。地獄絵を用いる大人達が地獄の亡者になっていないのかどうか、よく自分の胸に聞いてみる必要があると思う。

地獄絵は、たかが地獄絵、されど地獄絵である。

勝手に教育委員会

橋本知事の考えの基本は、府民から直接選ばれている知事に,その民意の反映を重要として、教育目標の設定などの重要事項を主導的に行えるようにしようという考えのようである。 私のもう一つの考え方として、教育委員会の委員を直接選挙制で各地域で行うというのも良いのではないだろうか?地域で直接選ばれた顔の見える委員と、選挙で選ばれた横浜なら知事や市長、そして議員の方々共々、教育に関してはもっと全住民が一丸となって考えるためには、教育委員会は顔の見える明るい組織にするべきだと思う。 知事が主導的に行うと言うことは、選挙によってその可否を問うことができるのであるから、大阪府は教育問題を本当に真摯にそして危機感を持って考えているように思う。 さて、神奈川県はどのように教育委員会などの問題を考えているのだろうか?少なくとも住民は、教育目標を主導的に設定できる教育委員は誰で、どのような議論が進められているのかをはっきり知っていても良いのではにだろうか?(若林政樹)大阪府の教育基本2条例・職員基本条例が可決

引用元: 勝手に教育委員会.